11月6日に神奈川県内にてパテ・ベビーの捜索を行います。なお、この模様はhttp://www.ustream.tv/channel/kitanaka-schoolにて、12:30頃から生放送されます。ぜひ見てください!(2010.11.4)
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私たちは、東海大学 文学部 広報メディア学科の水島久光研究室で、過去のフィルムの研究をしています。その中でも、特に9.5mmフィルム(パテ・ベビー)の研究をメインで行っています。そして今、過去のフィルムの収集をしています。ぜひ、このWebサイトを見た方で、9.5mmフィルムを含む、過去のフィルムの情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、私たちのところまで、ご連絡を頂けると幸いです。
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9.5mmフィルム(パテ・ベビー)とは、フランス・パテ社が開発した、小型撮影機とフィルムのことです。
日本では、1923(大正12)年に輸入され、東京の高島屋呉服店に玩具として、並べられました。翌1924(大正13)年に伴野文三郎によって、フランスから5台の「パテ・ベビー映写機」が輸入されました。そして、ここから日本でも9.5mmフィルムが広く広まるようになります。程なくして、各地で9.5mmフィルムによる撮影会、コンテストが開催され、全国各地で愛好会が設立され、会報も出版されるようになりました。
しかし、1935(昭和10)年頃に、最盛期を迎えた9.5mmフィルムでしたが、1937(昭和12)年に日中戦争が始まったことで、機材が手に入りにくくなると共に、軍部による規制の影響を受けるようになりました。そして、各地で出版されていた会報は次々に廃刊に追い込まれ、9.5mmフィルムは戦争の始まりと共に、姿を消すこととなってしまいました。
このように日本では20年にも満たない短い間でしたが、全国的に流行したフィルムです。
この9.5mmフィルム(パテ・ベビー)は戦後のマスメディアとは全く異なる映像文化を人々にもたらしたと言われています。そして、この9.5mmフィルムこそが太平洋戦争以前から、ホームムービーが存在していた証になると言われています。しかし、残念ながらその資料、素材の多くは埋もれたままになっています。
そこで、私たちは当時9.5mmフィルムにて撮影していた人たちが、どのような人で、何を被写体にし、どのような気持ちで、どのようなことを考えながら撮影をしていたのか、また、その映像を介して、どのような人々の結びつきが広がっていったかを、9.5mmフィルムの映像を見ながら探っていきます。
そして、ホームムービーの原点とも言われている9.5mmフィルムの、メディア研究上の価値・ポジションを私たちなりに考察していきたいと考えています。